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たくさんの「成功本」「セミナー」の中に

本屋に積まれたいわゆる「成功本」を何十冊と読むのは大変結構なこと。
しかし、本当に成功したいのなら、学んだ『知識』を今度は『行動』に転換しなくてはならない。誰もが理解していると思います。なのに、『成功』を掴めないのはなぜなのか?

どんなセミナーを受講して勇気を貰っても、その時ばかりでなかなか軌道に乗れない。もしかしたら、そんな経験を一度や二度されているのではないでしょうか?
才能が、能力があるのは自分自身で気付いている。なのに一歩踏み出すことが出来ない。
「頭では分かる」。そう頭では分かるし、知識はどんどん吸収していく頭脳は持っている。なのに、進むべき道が今一つ分からないまま、人生の年を重ねていく。
そんな人は決して珍しくはありません。

いわゆる『成功』する人というのは、『行動』することに、元々ある程度、あまり躊躇がないのです。

答えは、自分の心の『自動性』と呼ぶネガティブな『ストップ』にあるのですが、生徒や受講者のこの『自動性』を解除させることに、あらゆる講師が心血を注いでいるのではないでしょうか?どんな言葉によって諭しても、啓発したとしても、もしその生徒の心の中にある『恐れ』や『無気力』な感情、不合理な『判定』などが行動のストップになっており、解決できないのであれば、その人の本来持っている『成功』へのポテンシャルを引き出すことは殆ど不可能でしょう。成功者と呼ばれる人の、条件は、一にも二にも『行動力』です。『行動力』とは目的達成の為の推進力です。


サイエントロジーの技術トレーニングやカウンセリング(オーディティング)は、その人が本来持っているパワー(自分の心の自動性が)心の不合理を解決する科学的なアプローチです。
それは、サイエントロジーにしかありません。

サイエントロジーには、『通信コース』もあり、国内どこに居ても学べます。様々な、成功セミナーや書籍がたくさんあります。私も、サイエントロジーに限らず、様々なセミナーの良さや魅力を経験しました。そんな皆さんのご経験の中にサイエントロジーを加えてください。あなたは、経験するでしょう。
人とは、とても『シンプル』な存在であり、また人生とは『ゲーム』であることを。そして、日々生きることの意義を自ら発見してください。


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なぜ人は、サイエントロジーに惹かれるのか

こんにちは、岩見沢です。
サイエントロジーを始める人の多くの方々は、何も知らずに、いきなり始める人は稀には居ますが殆ど居ません。
だいたいの人は、「半信半疑」で試しに始めたり、問題解決の為に、友人の勧めもあって始める方々が主だと思います。若しくは、『ダイアネティックス』などを読み確信を得て始められる方たちでしょうか。サイエントロジーを実践し、やってみて、本当にこれに意味があるかないかなどを、実際に試してみなくては分かりません。何でもそうですよね。「健康食品」にしたって、「学習塾」にしたって、「美容院」を選ぶにしたって、実際にその美容院で髪の毛をいじってもらわなければその結果は分からない訳です。
そこに望ましい結果がない限りは、例え美辞麗句を並べ立てたとて、誰も続けようなどとは思わないでしょう。それは、何にせ同じです。
サイエントロジーには、疑いようもなく効果があります。それは、確かです。でなければ、誰もそんなことに、時間と金と労力を費やしてまで学ぼうなどとは、思わないでしょう。
よくネット上で悪口を書いている人たちが居ますが、私がつぶさに観察して思うことは、彼らの殆どは、その主題について殆ど何も知らないということが往々にしてあります。サイエントロジーについてもそうです。そうした記事の中には、内容について具体的な話が全く見当たりません。
そもそもトラブルを起こしがちな人たちの精神状態というのは、どこかに怒りの捌け口を探しているものです。
サイエントロジーのデマを流すもう一つの情報源が、精神科医たちです。サイエントロジーは精神科医、特に弱者を食い物にしている製薬会社と販売売上げを拡張させる為の無差別な精神薬の乱発処方に容赦のない態度で糾弾し続けています。
サイエントロジーは、彼らの莫大な利益を生んでいる病名作りや、レッテル貼りの精神薬ビジネス展開にとって目障りな存在でしかないでしょう。実際には、『精神薬』の危険性を政府やマスコミに対する啓蒙活動によって、日本は勿論、世界中で数々の精神病院が閉鎖に追い込まれています。その仕返しが言われのないデマ情報の実態なのです。しかし、サイエントロジーは、多くの子供らが、精神科医のデタラメな診断によって薬漬けにされて続けていることを決して許しません。例え、メディアは、露骨にそのスポンサー(大口顧客である製薬会社)を養護する為に『宗教』を攻撃します。『宗教』を悪く、恐ろしく描けば描くほどに、視聴率は稼げますし、スポンサーを保護できます。一挙両得という訳です。であるにも関わらすサイエントロジーは、精神科医らの犯罪を暴き裁判を通して閉鎖へと追い込みます。
サイエントロジーがまるで裁判で負けて裁かれたかのように書いている『宗教』アレルギーの弁護士が居るようですが、これも嘘の記事です。サイエントロジーは裁判では負けていません。
上述したように、サイエントロジーの教育がこれ以上広まっては困るという団体が存在していることは確かです。
『日本うつ病学会』です。
うつ病キャンペーンを始め、精神病レッテル張りによって膨大な薬を裁き、莫大な利益を吸い込む代わりに、人々を、中でも子供たちの命をターゲットにした製薬ビジネスという、危険極まりない現実を多くの国民が知り始めています。
(つづく)

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サイエントロジーは「宗教」をどう見ている?

今日は、少し宗教という分野について話てみようかな。みんなは『宗教』と聞いて最初にどんなことが頭に思い浮かびますか?
『仏陀』?『奈良の大仏』?それとも『十字架』?それともTV で流される偏った『イスラエルとアラブの紛争』のニュース?
そもそも『宗教』って何なのか?
『神』って何なのか?
どうして、この世の中に、無数の宗教があるのでしょうか?
それは、いろいろ人がいろいろな言い方をしてきましたね。例えば、かのドストエフスキーは、「もし神がいなくとも、人間は神を創造しただろう」と。その真意は別にして、ニーチェは「神は死んだ」といいました。
私がサイエントロジーを自分なりに学んだ中で考えたことは、つまり、『人間』の思考する活動の中に「捉えがたいもの」の世界があるからだと私は個人的に思います。

サイエントロジーでは、『神』というものは教えていません。なぜなら、それは人間の『思考』という、モノを考える性質の中に於いて、ある『領域』を説明する時、人種間、文化、習慣の違いによって受け継がれている道徳観念、価値観といったものには、必ず差異があるものですし、「神」とは教えられるものではなく、「自分」で発見するものだと考えるからです。また、既に何らかの「神」を信仰しているからといって、サイエントロジーの理論にぶつかるものではありません。どのような信仰を持っていようと、宗教を信じようが、信じまいが、信仰を持とうが持たなかろうが、水は上から下に流れるのですから。また、『常識』や『価値観』もその時代、時代に変容するものです。『科学』は日進月歩を続けています。そもそも、マスメディアは好んで中東問題を『宗教対立』のように、殊更に表現したがるように見えますが、実際に宗教的感情でケンカをしている訳ではありません。一時、アメリカの報道にしても、ハリウッド映画にしてもイスラム教圏をテロリストとして好んで表現するような風潮がありましたが、もともと他国が利権の為に介入するまでは、イスラム教徒市民もキリスト教徒市民も何ら大きな対立もなく平穏に暮らしていたのです。よく『宗教は、争いを生むから嫌いだ』という人が居ますが、私は首をかしげたくなります。では、宗教の無いところには『争い』はないのでしょうか?

『宗教』とは、ただ人間がこの世の中で、より『生存』をもたらす「知恵」と「行動」の【育成】、或いは、【教育】です。

少なくとも、これがサイエントロジーを私なりに学んできた、個人の見解です。

サイエントロジーには、様々な教育やトレーニングのコースがあり、どれも非常に「理」にかなった内容のものです。巷に溢れる様々なベストセラーになっている「自己啓発」や「ビジネス書」、その他の、いわゆる「成功本」
の内容は、サイエントロジーの理論の一部で容易に説明されものばかりです。だからと言って、それらの本を過小評価する訳ではもちろんありません。そうした優れた書物やベストセラーの持つ本質的な意図は「人々に豊かさを与える」意味に於いてサイエントロジーと矛盾する要素は何もありません。

人間には、より高度で社会にとって有効な知識や教育を得る権利があります。

『宗教』とは、「神」を教える集団などではなく、人が生きていく為の本質を学び取り、又人生に生かす『学問』です。また社会の中で、その純粋な役割を完全に果たすべきだと考えます。

今日は、「宗教」という言葉の持つ意味について私なりの考えを皆さんにお伝えしてみました。

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サイエントロジーで何が得られるのか?

皆さん、こんにちは。
岩見沢です。
サイエントロジーについて、20年間サイエントロジーという場で学びながら、様々な活動に参加してきた立場から、これからサイエントロジーを学びたいと思っている方、もし、本当に有益な知識ならば、そこで得た知識を生かしたいと考えていらっしゃる方たちの為に、詳しくその中身を伝えたいと思います。

サイエントロジーは、アメリカなどでは『スピリチュアル・テクノロジー』と呼んでいます。つまり、『精神を扱う技術』といったところでしょうか。

精神とは、簡単に言えば目には直接見えない『自分』のこと、或いは『他者』の中にある意識のことです。
より正確に表現すると、「自分が考えたり行動していることを意識している視点」と言えます。それを何と呼んでも構いません。自我、自我意識、魂、センター、その他いろいろな表現があるでしょうけれども、分かりやすく『自分』と表現するものです。

つまり、サイエントロジーとは、能力が向上しながら、本来の自分に出会う為の『知識と技術の体系』です。

ここで、ややこしい問題があります。
『自分』を知るって??何??

どういう意味でしょうか?

ほとんどの人は、自分に対して何らかのイメージを以て、又友人や上司、家族からの評価や、他人との比較、自分の普段の行動を鑑みてそれらを総体的に見て『自分』だと認識しているのではないでしょうか?

自分は、自分なのだから、知る必要があるのだろうか?

サイエントロジーで学ぶ中で、結果的に起こることの一つには、『無意識』からの目覚めとも言える状態です。

私達は、知らず知らずに様々な既存の教育による誤解や混乱、報道による『偽りのデータ』などです。また、過去からの他人の評価によって、その他人生の経験から善くも悪くも身に付けてしまったネガティブな''自己イメージ ''を持っています。

今まで、気づかないまま生きていた自分という『存在性』が学べば学ぶほど実はとてもシンプルで、尊いものだということに気が付くでしょう。

例えば、ある人は、サイエントロジーを使うことで『人間関係』の劇的変化を体験します。今まで、恐れやストレスを感じていた人間関係に抵抗感が減り、人との関わりが自然と増え始めるといった体験をします。

いつも笑顔が心の底から自然に浮かび、活力が湧き出るといった変化です。

これは、「催眠術」?などではありません(笑)。

ノウハウを知るだけでビジネスは上手くいく訳ではありません。
その源である、『自分』その人自身の本質が如何に素晴らしく、価値ある存在かに、まず何よりも気付くことが重要です。自分の価値に気付いていない人がどうして友人や家族、その他の人たちの価値を許容出来るのでしょうか?

また、『幸福』とは自分自身や自分を取り巻く人間関係、その他の存在価値を新たに見いだす『体験』のことではないでしょうか?そして、必要なものは『幸福』を創造していく『知恵』と『行動力』です。

サイエントロジーでは、人生に必要な『知識』と『トレーニング』を以て『勉強』と呼びます。又、サイエントロジーの「カウンセリング」(オーディティング)については、また別なページで話そうと思います。

銀行口座に大金が入ったから『幸福』を感じる訳ではありませんよね?それは不安からの開放であったり、自分の価値を誇らしく思ったり、そのお金を使うことで、他の人を幸せに出来ることへの『希望』や『充足感』などによって得られる高揚感や安心感ではないでしょうか?

『知識』は正しく使い、行動すれば、必ずよい変化を引き起こします。

繰り返して言いますが、サイエントロジーとは、そうした生存的な結果を生み出す『知識』と『技術』の総称です。

健康、会社経営、人間関係を自分の思い描く状態へと創造していく為には、時に、自分の活力を抑え込んでいる問題をリセットする必要があるかも知れません。例えば、過去の失敗や後悔などです。

次は、サイエントロジーの技術と私たちの「心の問題」について話していきますね。

ここまで読んで下さってありがとうございます。宜しければ、読者登録お願い致します。

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サイエントロジーはどんな人に向いているのか?

サイエントロジーは、どんな人に向いているのか?
どんな人たちがサイエントロジーのデータを使っているのか?
サイエントロジーでは、年齢を問わずあらゆる職業の方たちが、一人一人の目的の為に学び、又、学んだことを日々の仕事や生活に生かしています。
巷には、とても魅力的で成功している人生、ビジネス、趣味などを問わず様々な分野の『講師』の方や為になる優れた著作物、学校、塾などが存在しています。
本当に優れた講師や先生方々に共通したその本質とは何か?を観察してみると、彼ら先生方々が『皆にも成功して欲しい!』、『幸せを掴んで欲しい!』その思いを胸に抱き、又その為に日々、多くの受講者と向き合って居られるのが分かります。それは、また『信頼』と言う最も価値ある特性です。
その方たち講師の役割とは、私も含め人々により高い『生存』へと導くことです。
サイエントロジーには、こうした講師をされている方々も共に学んで居られます。
皆さんの中には、「勉強」には、全く興味がないという方も居られるかも知れません。学ぶことが「苦手」であると思い込んでいたり、或いは、自分は『知っている』から学ぶ必要はない!!と信じている人も居るかもしれません。
しかし、大半の方々は、『学ぶ』必要性を常に感じて居られるのではないでしょうか?
人間、『自分』という存在には、無限の能力が使われないまま眠っているといいます。その気になれば人は、いくらでも変化し、いくらでも向上していくことが可能だと多くの人たちは気付いています。例え、今現在、とても苦しい状況の中に置かれていて、『自分にはそんな能力はない』と自己卑下から抜け出せずに、諦めて居る方が居たとしてもです。人は、やはり変わることが可能です。もし今あなたが「ダメになった」と思い込んでいたとしてもです。それは、「ダメ」な方に変化した結果に過ぎず、「すばらしい」方向にも変化できることを証明しているのではありませんか?
例えばビジネスの分野ならば、管理運営能力、スピーチ力、コミュニケーション能力、学習能力、企画能力、発想力、そして判断能力等、必要な能力は向上します。
また、起業家、ビジネスマンであろうと、家庭の妻、夫であろうと、学生であろうと、リタイアされた方であろうと私たちは同じ身体構造を持ち、心の働きがあり、健康を必要とし、幸せを求めている限り、人は「すばらしく」変化していくことが可能なのです。
サイエントロジーのデータは、全て『生存』をもたらす『情報』からできています。それらは、人生のあらゆる局面に利用できる「知識」であり「技」です。
しかも、それらは、「シンプル」です。「複雑」になればなるほど利用も複雑になり、利用に堪えなくなるでしょう。利用価値の高いものは、いつもシンプルです。世の中の優れた人たちが、その専門分野をいたってシンプルに説明しているように。
サイエントロジーでは、社会的な人であればどなたにも「学び」の場を、人々の「向上」の機会を提供しています。
少しずつ、具体的な勉強の内容を紹介していきます。よろしければ、登録お願い致します。

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サイエントロジーとは何なのか? (2)

サイエントロジーについて話を進めていきます。先に、『有益な情報』について触れました。

何かを得ようと行動するときに、有益な情報か不利益な情報のどちらかを選択した場合、結果は同じではありません。
例えばギターでも、ピアノでも、よい先生について習うことは有益なことです。意欲が増し、楽しい気分で楽器と向き合えるその結果、練習量が増え上達も早くなる。などです。
サイエントロジーとは、「人生」を自分の思い描くより高い状態に達成していく為に必要な有益で上位の「情報」の体系です。
それは、必要な分野から好きに学べるようになっていて、それらの基礎的な知識は誰もが、とても容易に吸収して行けるように作られています。
「勉強」と言っても学校の勉強とは、違います。学校は、『先生』と『生徒』、塾なら『講師』と『生徒』が居て生徒は、講師から教えを請うのが一般ですが、ただサイエントロジーの面白いところは、その人が自分自身が『データ』と向き合い何ながら、自分の発見によって「そうだ!わかった!」と理解した分だけ進んでいけるようになっています。先生や講師が「これを覚えておきなさい」とか、「これを信じなさい」などといった教育とは無縁です。誰もが自分自身の理解によってのみ進んでいきます。でなければ本当の実力は付きませんし、勉強から得られる『驚き』や『感動』は決して得られないでしょう。しかし、勉強につまった時には、いつでも、スーパーバイザーという、トレーニングを積んだ人がサポートします。ですが、決して「答え」を教えることはありません。なぜなら、答えを出す力、決断力こそが「生きる」上に必要なその人の「能力」となるからです。自分が本当に理解しなければ、何かを学んでも、決して「喜び」も「充実」も得られないのですから。
では、サイエントロジーの「勉強」で何が学べるのか?を皆さんに、分かりやすくお伝えしていこうと思います。
宜しければ、ブログ登録をお願いします!

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サイエントロジーとは何なのか?

皆さん、今日は。
私は、ここ20年間サイエントロジーに参加し、その実際を見てきた社会人の一人です。
これから、サイエントロジーについて学ぼうとしている人や、興味を持っている人たちや、色々な思いや悩みを抱えている人たちに向けて、私なりの情報を伝えていきたいと思います。

サイエントロジーとは何なのか?
サイエントロジーの名前の由来から。
サイエントロジーというと、まずイメージされるのは、『サイエンス(science)』という言葉でしょう。
サイエンスとは、『知る』を意味するギリシャ語の(scio)から来ています。
ロジー(-logy)とは、logic、logicalなどのラテン語の語源【logos】(論理、体系)または、『学門』の意味から来ています。その2つの意味を合わせて出来た言葉が『サイエントロジー』で、日本語にすると、『知る為の方法を学ぶ学門』といった意味になるでしょうか。

サイエントロジーという存在自体について、話す前にまず『知る』ということは、どういうことなのか?
ここで改めて考えてみたいと思います。

人は、日々何かを『知ろう』と努めています。『為替、株』かも知れないし、美味しい『レストラン』かも知れません。皆、何かを得たいが為に、情報を必要としています。

何にせよ、それは一重に『自分』が、自分の『家族』が、或いは『会社』という自分のチームがより良く生きる為に、又は、より楽しみを得る為に情報を取りに行く訳ですね。

そして、いつも可能な限り価値のある『情報』を得たいと望んでいる人たちも居ますし、逆に可能な限り価値ある情報を' '発信する'' ことに努めている立場の方々も居ます。

生きる為には、何にせよ『情報』が必要だということです。

生きているものは、もちろん『生きよう』としています。生命は、単純に、根本的には、自分が『生きる』為に活動しています。

だから、『生きる』為の情報が必要だということは当たり前のことですね。

しかし結果的に「間違った情報」を選択し、更に「間違った判断」を繰り返して行ったら当然、結果は「無駄」や「苦痛」、「後悔」、「迷惑」「破壊」を作り出してしまいます。

「失敗」は、その後の成功への有益な経験になることは当然有ります。「失敗」は、見方によって必ずしもネガティブな面ばかりでは有りませんね?
「失敗」それは、「達成」する道程の一部とも言えます。

ですが、より有益な情報が得られれば、結果「失敗」は少なく、より確実な「達成」が得られる筈です。

だから、人は可能な限り有益な「情報」を探し、それを得ようと努める訳です。生命がより高い「生存」を達成するには、集積した情報から得られる必要な分だけの『知識』を活用しなくてはなりません。それは不可欠な「生きる」為の『行動』、『活動』を生み出すこと、でなければ『知識』は単に「情報」のままです。

行動は、時に「厳しさ」、「苦痛」を伴うものです。世の中には、「知識」や「知恵」で溢れた人たちが大勢いますよ。雄弁で、多弁な人たちです。しかし、せっかくの「知恵」も「行動」が伴わなければ、それは、頭の中だけで描いた「イメージ」の世界でしかありません。そして、「目的」や「計画」が伴えば「成功」、「達成」、実現の可能性は増して行きます。「いつか叶う夢」を持つのは結構なことです。それは、寧ろ大切な「一歩」です。サイエントロジー学の中で【理想の光景】と言う言葉が管理運営の技術の中に使われます。それは、『個人』であろうと、自分の属している『会社』であろうと、『家庭』であろうと、どのような人生の領域にも当て嵌めて活用できるものです。
イメージとは、目標に進む上で大切な「指針」となるものですよね?

だから、とても大事!!

長くなりましたから、今日はここまでにして、続きはまた、後日書いて行くことにしますね[ぴかぴか(新しい)]

宜しければ、暫くお付き合いのほど、宜しくお願い致します。



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