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サイエントロジーは「宗教」をどう見ている?

今日は、少し宗教という分野について話てみようかな。みんなは『宗教』と聞いて最初にどんなことが頭に思い浮かびますか?
『仏陀』?『奈良の大仏』?それとも『十字架』?それともTV で流される偏った『イスラエルとアラブの紛争』のニュース?
そもそも『宗教』って何なのか?
『神』って何なのか?
どうして、この世の中に、無数の宗教があるのでしょうか?
それは、いろいろ人がいろいろな言い方をしてきましたね。例えば、かのドストエフスキーは、「もし神がいなくとも、人間は神を創造しただろう」と。その真意は別にして、ニーチェは「神は死んだ」といいました。
私がサイエントロジーを自分なりに学んだ中で考えたことは、つまり、『人間』の思考する活動の中に「捉えがたいもの」の世界があるからだと私は個人的に思います。

サイエントロジーでは、『神』というものは教えていません。なぜなら、それは人間の『思考』という、モノを考える性質の中に於いて、ある『領域』を説明する時、人種間、文化、習慣の違いによって受け継がれている道徳観念、価値観といったものには、必ず差異があるものですし、「神」とは教えられるものではなく、「自分」で発見するものだと考えるからです。また、既に何らかの「神」を信仰しているからといって、サイエントロジーの理論にぶつかるものではありません。どのような信仰を持っていようと、宗教を信じようが、信じまいが、信仰を持とうが持たなかろうが、水は上から下に流れるのですから。また、『常識』や『価値観』もその時代、時代に変容するものです。『科学』は日進月歩を続けています。そもそも、マスメディアは好んで中東問題を『宗教対立』のように、殊更に表現したがるように見えますが、実際に宗教的感情でケンカをしている訳ではありません。一時、アメリカの報道にしても、ハリウッド映画にしてもイスラム教圏をテロリストとして好んで表現するような風潮がありましたが、もともと他国が利権の為に介入するまでは、イスラム教徒市民もキリスト教徒市民も何ら大きな対立もなく平穏に暮らしていたのです。よく『宗教は、争いを生むから嫌いだ』という人が居ますが、私は首をかしげたくなります。では、宗教の無いところには『争い』はないのでしょうか?

『宗教』とは、ただ人間がこの世の中で、より『生存』をもたらす「知恵」と「行動」の【育成】、或いは、【教育】です。

少なくとも、これがサイエントロジーを私なりに学んできた、個人の見解です。

サイエントロジーには、様々な教育やトレーニングのコースがあり、どれも非常に「理」にかなった内容のものです。巷に溢れる様々なベストセラーになっている「自己啓発」や「ビジネス書」、その他の、いわゆる「成功本」
の内容は、サイエントロジーの理論の一部で容易に説明されものばかりです。だからと言って、それらの本を過小評価する訳ではもちろんありません。そうした優れた書物やベストセラーの持つ本質的な意図は「人々に豊かさを与える」意味に於いてサイエントロジーと矛盾する要素は何もありません。

人間には、より高度で社会にとって有効な知識や教育を得る権利があります。

『宗教』とは、「神」を教える集団などではなく、人が生きていく為の本質を学び取り、又人生に生かす『学問』です。また社会の中で、その純粋な役割を完全に果たすべきだと考えます。

今日は、「宗教」という言葉の持つ意味について私なりの考えを皆さんにお伝えしてみました。

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